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●アスペン市
取材先;Mr.JamesR.True,SpecialCouncil,
CityofAspen.Ms.AmyMargerum,ExecutiveVicePresident,Operations,CorporateSecretary.

◆市の顧問弁護士であるジェームス・トルーさんとアスペン研究所の運営責任者エイミー・マーゲラムさんとアスペンの都市(まち)と研究所の関わりについてのヒアリング

 アスペン市は、19世紀末、銀鉱山で栄華を極めたまちでした。鉱山閉鎖後の沈んだ都市(まち)をまず、スキーのリゾート地に変えることから始め、さらにアメリカコンテナ・カンパニーの社長であったウオルター・ペプケ氏とその夫人によって、1949年、ゲーテの生誕200年祭のイベントを開催し、そこにノーベル平和賞を取る直前のシュバルツァー博士などを招いた「哲人会議」を主催しました。そのことによって、アスペンの名前は世界に響き渡り、その後の発展は今日のアスペン研究所を開設することにつながりました。

 同研究所の活動は、今日もその内容から全世界で注目されています。アスペン市は、人口わずか約6,000人のまちですが、冬場のスキーシーズンだけでなく、同研究所の絶え間ない学術・研究・文化活動によって一年を通して来訪者の絶えないリゾート地となっています。
 アスペンには市役所の建物も含めて19世紀末からの歴史的な建物が残っています。小さな都市(まち)ですが、とっても美しい都市(まち)でした。市役所の他にも鉱山で栄えた頃の建物をホテルにしている所も見て回りました。

・議場の写真の壁にかけてあるアスペンの古い地図を見てください。描かれている内容は今とあまり変わりません。アスペン研修所はその地図の山と市街地の中間の草原に位置しています。

・エイミー・マーゲラムさんは元市職員で、現アスペン研究所の運営責任者でした。これ以上のアスペンの都市(まち)づくりに関する適任の方は考えられないと思いました。幸運でした。

・驚いたことにペプケさんは、ロックフェラーやカーネギーのような大金持ちではなかったようです。アメリカコンテナ・カンパニーはもう無いそうです。しかし、幅広い人脈を持った人で、そのことがこの世界的なレベルのイベント実現につながり、さらに、そのことによって、アスペンの素晴らしさを世界に伝えることが出来、今日のアメリカの軽井沢(?)、アスペンが出来たように思えます。

・心、体、精神を癒してくれる「学術・文化の首都」を目指しているそうです。


※1 アスペンのステキな街角
※2 アスペン市役所
※3 アスペンの弁護士、ジェームス・トルー氏とアスペン研究所の取締役副社長のアミー・マーゲラム女史にアスペンの歴史と研究所の働きについてインタビューしました。場所は議場でした。一番下の写真の背景にはアスペンの古い地図がありました。
※4 アスペンの歴史的建造物ホテルになっています
「新こども病院に対する私たちの見解」ダウンロード
 
「アメリカ 行政視察 報告書」ダウンロード
 
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